2009年7月5日日曜日

繋げるということ・・・2


ハンドボールの話をもう一つ。

次男がハンドボールを始めたことをコトの外喜んだのは、実は私の弟だった。一年生の初試合の前、何気なく弟にそれを伝えると、彼は一時間半近くもかけ試合を観に来てくれた。それ以来試合の予定を連絡すると、都合が合う限り来てくれた。しかも、私達が他校の試合の間にお昼を食べに行くよと言っても、お昼を食べるより、試合を観たいとその場から離れなかった。

何と30数年前、彼はうちの息子とは違うH高のハンドボール部の創設メンバーのひとりだったのである。30数年後、日常の記憶からも薄くなっていたであろう頃に見たものは、かつて自分が情熱をかけて築いた母校のユニフォームだった・・・しかも、自分達は部活紹介をしても誰一人後輩が入らず、部員集めに苦労したのがウソのように、ズラッと並んだユニフォーム・・・彼の記憶が瞬く間に甦ったのは言うまでもない。

4つ違いの姉弟、別に仲が悪いわけではない。むしろ良いと思っている。しかし、残念なことに、姉と弟は‘学校’というものに関して、全く共通点がない。小学校時代、高度成長期の元、人口が増え、私の小学校は学区が分かれ、二人は別の学校へ通った。新しい校舎が出来、私達がそちらへ移ったのは卒業間近だったような気がする。その後、中学から大学まで全て違う。通った校舎、走った校庭、お世話になった先生、遊んだ友だち・・・何一つ合う話がない。当時は別に不思議に感じたことはなかったが、今思うと何だか変・・・

ある試合の時、彼の母校の試合をコート際のフェンス越しに二人並んで観ていた。両手をフェンスにかけ、顔をくっ付けるように見つめる彼の口から、創設当時の話が自然と出て来た。クラブとしてなかなか認めてもらえず、グランドの隅っこの草茫々のエリアを与えられ、サッカー部や野球部に鼻で笑われながらも毎日黙々と自分達で整備してコートを作ったこと。部費ももらえない中、皆でバイトをしてやっと買った3000円のユニフォーム・・・それが嬉しくて嬉しくて、今でも忘れられないと。

淡々と、しかしドラマのような青春の出来事を話し続ける彼の横顔、私は不覚にも涙がこぼれそうになった・・・一枚だけ見たことがある弟のユニフォーム姿が隣にいる弟に重なった。30年経って知る弟の情熱が自分の子供を通して私に繋がった・・・

しかしこの繋がりはこれだけに留まらなかった。実家で楽しそうにハンドの話をする私達子供を見ていた父が、自分も観てみたいと言い出したのである。と言うわけで、弟に続いて父まで試合を観戦するようになった。親、子、孫・・・三代の情熱がこもったハンドボール、今年息子の母校はインターハイに出場する!!

2 件のコメント:

ひっぽ さんのコメント...

何度聞いてもええ話ですね。

またしても、ほろっ....

月のうさぎ さんのコメント...

ありがとおます!
私も書きながら、またジワッと来てしまいました・・・