2014年5月14日水曜日

人生色々・・・

今、帰りの新幹線の中です。
何とか荷物の納まり場所が決まり、ひとまず安心!
一軒家からワンルームマンションへの引っ越しはホントに大変、叔母はクタクタでしたねぇ・・・
私の父の年の離れた妹である叔母は、私と10才しか離れていないので、私が中学一年生の時に結婚するまで一緒に暮らしていました。当時はやはり年の差は大きく、私には弟がいたので、あまり姉妹のような感じがしていませんでした。
しかし、結婚した相手の叔父もとても優しく、私は新婚の時から良く泊まりに行っていたし、弟も釣り好きの叔父とあちこち出かけていました。
その後叔母には娘、息子が産まれ、平穏に暮らしていました。
ところが、私の長男が一才の時、突然叔父が脳内出血で亡くなりました。
娘は中二、息子は小四でした。
娘が遠く離れた高校で寮生活をすることになり、それを機に叔父の仕事場に近かった住まいを離れ、私が住んでいた隣のマンションに引っ越して来ました。
当然叔母は仕事に出かけ、小六になっていた息子は、良く我が家に来て時間を過ごしました。
6年位経った頃、縁あって年が一回り以上離れた相手と再婚して引っ越して行きました。
相手も奥さんを亡くされていた再婚同士、息子は安心したと私に言いました。
新しく叔父となった方は、様々な芸術に興味があり、私が陶芸の窯置き場がないのを知ると、自宅のベランダを提供してくださり、そこから今に続く、私の陶芸人生が始まりました。
6年近くそこで教室と窯のお世話になり、私が引っ越した年の夏、息子が24才で亡くなりました。
サーフィンの練習中の事故でした。
夫を突然亡くし、失意の数年後やっと再婚し、何とか穏やかな第二の人生を送っていた叔母は、再び失意のどん底へ突き落とされてしまいました。
時間が薬と言いますが、実際はなかなかそうは行きません。
私も離れているので、何も出来ませんでした。
しかし、ここ数年間は、叔父の具合が悪くなり、悲しみに暮れているわけには行きませんでした。
その叔父も昨年9月亡くなり、叔母は三度目の見送りをしなければ行けませんでした。
亡くなった叔父の子供二人は、息子も娘もすでに再婚当時から結婚して離れた場所で暮らしていたので、これを機会に自分の娘の嫁ぎ先の熊本に行くことにしました。旅行以外で今まで広島から出たことのなかった叔母の第三、第四の人生の始まりです。
「住めば都」と言いますが、都にするのは自分なのです。
人生万事塞翁が馬・・・夕日が綺麗な熊本で、新しい人生を見つけて欲しいと願っています!

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